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この国を思う:8月は平和を祈念し、心静かに祈る月

 空梅雨、猛暑とゲリラ豪雨。ここ数年、夏の様相ががらりと変わったと思いませんか。これは地球があげる悲鳴が年を増して大きくなってきていることだと私は解しています。連日、40℃にせまる高温と豪雨、私たちは自然の猛威を前にはなす術もありません。今、私たち一人一人ができること、それはエコな生活を心がけることしかないのではないでしょうか。個々人の日々の心がけの積み重ねが、きっと、地球を救うと信じて毎日を暮らすことではないでしょうか。毎日、ご先祖様に祈りを捧げるのと同じように。

 8月は日本国民にとっては生と死を考えさせられる月です。日本国民として長い歴史の中で、国を挙げての戦いに敗れた月であり、人類を滅亡に導く原子爆弾という脅威を2回も体験した月です。そして、昔から先祖、故人をお迎えするお盆の儀式をする月です。一年でもっとも暑い八月は、外に出て活動するよりも内にいて、心静かに生死と向き合うべき時なのです。

 毎年8月15日には、護国神社を中心に「英霊をたたえる会」が開かれます。当塾の所在する姫路には兵庫縣護國神社があり、毎年8月15日には崇敬奉賛会の方々のお世話により、「英霊感謝祭」、「英霊顕彰の集い」が開催されます。

 戦後77年、サンフランシスコ講和条約から70年の今年、世界は大きな分岐点にあります。戦勝国主導の一方的な裁判(東京裁判)から、今日までの間に人類は科学技術の進歩に心を驚かせながら、一方では、忍び寄る精神障害の恐怖に慄くようになっています。文明とは、西郷南洲が『南洲翁遺訓(第11条)』に説かれているように「文明とは、道の普く行わるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳衣服の美麗外観の浮華をいうに非ず。」なのです。大方の人が社会生活を便利にして装飾する機械的組織的成功を文明と思っていらっしゃるでしょうが、それは本当の意味ではありません。文明の本義とは、古より「道の普く行われること」、即ち、天地間のすべての生成化育のはたらきに感謝し、各自が人として正しく生きること(これを道といいます)で、人としての道を正しく守って生きることなんです。天地の道に由って父母を得て、自分が生きることを知り、人を愛することを覚え、天を敬するようになることが、我々が普く道を行うということです。これは太古から現代まで、何一つ変わらない不変の道です。

 8月は、いつもの月よりも神棚、お仏壇、神社、お寺で手を合わせる機会が多い月です。祈りのひととき、各自が心の中に、世界のみんなが平和で、楽しく、飢えなく過ごせますようにとお祈りしましょう。合掌!