この国を思う:祖国日本崇拝と先人先哲顕彰 第一回中今会開催さる
酷暑に圧倒された今年の夏ですが、その夏の最期の土、日曜日に、広島県北部の庄原市東城町において、”中今会“(夏期修養犬種会)が開催され、私も主宰者の一人として参加してまいりました。幻の類人猿ヒバゴンの話で知られるこの北広島当塾道人の青木啓さんのご実家があります。2年前に青木さんとお出会いし、互いの思いを語る内に青木さん(加古川在住)が生家を人間修養の道場にしたいという思いをお持ちであることを知り、爾来、実現に向けて応援してまいりました。片道3時間半、加古川から庄原まで何度も足を運ばれ、思いの実現に努力される青木さんの姿を見て、何とか早期に実現させてあげたく当塾の主題でもあります「人間学の修養道場の再興」を目指しました。
第一回中今会のテーマは、「禅と陽明学」でした。開講第一講の講話は、青木氏による「今を喜んで中今を生きる」でした。青木氏は古神道を学んで人間学に行きつかれました。氏の体験に基づいた講話を拝聴して今の日本人が忘れ去っている祖先の崇拝と毎日を精一杯生きるということの大切さを改めて思い起こさせて頂きました。
第二講は、山田方谷先生に真正面から向き合って長年取り組んでこられている池田弘満先生から、「山田方谷は、何で国の人々を豊かで幸せにできたのか」というタイトルで、山田方谷先生の理財論とは何なのかについて、非常に明解なご講義を頂きました。江戸時代の末期に活躍した陽明学者として山田方谷はよく知られていますが、農民出身であれ、武士であれ、一端、陽明学を志した者は学んだ以上は学びを実践して世の人々に豊かで安泰な生活を提供する(これを経世済民という)という志を持っていました。今回の中今会の会場である庄原市東城は、方谷先生所縁の地の一つでもある岡山県新見市と接しています。終生、経世済民と民の教育を語って頂く絶好の場所でした。
二日目は、妙心寺派山田無文老師の弟子にあたる行村大忍和尚より坐禅の指導と、大忍和尚の坐禅事始めから、山田無文老師の元での修行話をご披露頂きました。現在、庄原市の無住の寺を含め6か所のお寺をお世話をされながら、日々禅と共に生きておられる大忍和尚の日常と禅を窺い知ることのできた貴重な時間でした。坐禅をしてみて、如何に心静かに坐ることが難しいかということを一同改めて実感したように思います。早朝の坐禅では、鶯の鳴き声をききながら、明鏡止水の境地を味合わせていただきました。
中今会の最期の講義は、今回のテーマの「禅と陽明学」のまとめてとして、日本人が如何にして禅と出会い、生活の中に落とし込んできたのか、また、私たちの先人先哲は禅をどのように自己の修養に利用してきたのかについて、私、竹中が話をさせていただきました。戦後、公職追放から解放された安岡正篤先生が、世直し、国の立て直しにあたり開講されたのが「照心講座」でした。その講座で昭和37年2月1日から約1年間講ぜられた「禅と陽明学」が今回のテーマの源流です。人間は、学び(理入)だけでなく、実践躬行(行入)を併せて取り組むことで全人格を身に付けることができます。戦後の頭でっかち教育は限界に到達しています。勉強すればするほど病気になるのが昨今の風潮です。沢山多くのものを頭に詰込むよりも、学んだことを一つづつ実践し、失敗し、成功して自分というものを積み上げていくが大事です。
今回の中今会は、参加者18名というこじんまりとした修養の会でしたが、参加者一人一人にとって掛け替えのない体験となったのではないでしょうか。
青木氏と中今会は当面、年二回の開催を目指しましょうと話しています。一泊二日で、自己を見つめ直し、各自が生命力を取り戻せるように継続していきたいと思いました。
令和5年8月22日から27日の間に実施された定例講座は以下の通りです。
▼8月23日:安岡先生講話選集に学ぶ(水厚会) 田中昭夫先生
今回も課題図書は『東洋人物学』でした。前回からの続きの、第一章 自己の再発見の中から、「金銭と人間‐大谷吉隆の手紙」から講義は始まりました。「人物と金(金銭感覚)」は人間に取って永遠のテーマであります。安岡先生は言われます「立派な人間な必ずお金に綺麗である。俗な人間、俗悪な人間はは必ず金に汚い。金をどう使うか、金をどう得るか、金というものをどう考えるかこれは非常に剴刹那切な問題であります。」大谷吉隆が盟友石田三成に忠言した金銭の扱いはこういうところにありました。更に、此の章では、人間の付き合いとして清交(素交)と俗交(利交)があり、その人物の人との関わり合いがその人の評価に関わることを学びました。
▼8月27日:伊與田人物学を学ぶ 第四期 「人はいかしにて人物となるか」
竹中 栄二先生
『いかしにて人物となるか」の二講目です。今回は、広島県庄原市の青木邸有終館で開講された中今会の会場からリモート配信で開講されました。今回は第二章「孔子、王陽明、中江と藤樹の目指したところ」を味読いたしました。仮名論語為政第二の素読から始まり、今回、中今会の会場となった深山幽谷の施設での修養の有難さについて触れ、人間学と時務学をバランスよく修めるには俗世間から隔離されたこのような地で、呼吸を整え、心を浄化する修養が第一である思いました。生駒山中の成人教学研修所を彷彿させるこの環境で、孔子、王陽明、中江藤樹の境地に思いを馳せることができたことは大いなる学びでありました。