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令和六年瓠堂忌(安岡正篤先生の遺徳を顕彰する会)開催

 先師安岡正篤先生が逝去されて早41年が経過しました。時代は、昭和、平成、令和と移り、日本は先生の警鐘どおり混迷を来たしております。このブログでも何度も申し上げておりますように、日本人の自己崩壊、融解が顕著になった今、このような状況から如何に祖国日本を護り、再興していくかに日々、心を砕いている人たちにご参集頂きました。

 四條畷神社本殿での正式参拝後、境内にあり師友道人を祀る有源招魂社にもお参りし、御祭神の一人で在らせられる安岡正篤先生に瓠堂忌の開催をご報告いたしました。次いで、神社会館にで、式典、講演会を開催しました。

講演は二題、まず、昭和五十九年の青山斎場での安岡先生の葬儀にも参列された九州小倉の尋牛會代表原 一洋先生から、「安岡先生と瓠堂忌」という演題で当時の模様を教えて頂きました。次いで、郷学研修所・安岡正篤記念館理事長の安岡定子理事長より、「安岡教学とこれからの郷学振興」という題で講演頂き、終わりには、唯一の子供参加であった、金子 慎君、蓮君による、『孝経』、『大学』の素読披露により、安岡定子先生の「こども論語塾」の成果を発表して頂きました。

 会場を石切温泉ホテルセイリュウに移し、大阪の大夜景を見ながら、郷学研修所・安岡正篤記念館の安岡正守副理事長の開宴の挨拶で懇親会が始まりました。宴会中には、清話として、今回の瓠堂忌に多大なご支援を頂いた、社会福祉法人仁風会谷口 明氏、実家が安岡旧宅の隣家で堀田家(安岡先生の出處)

との交遊が深かった福井雅章氏から貴重な話もありました。

 明けて22日は、東大阪孔舎衙を中心とする安岡先生の旧跡廻りを開催しました。孔舎衙小学校、善根寺春日神社、安岡先生旧宅と廻る中、各所で地元方々からの歓迎をうけました。特に、善根寺春日神社では、春日神社敬神会の皆様から、神社で製造された御神酒を頂き、安岡先生が浅見妟斎宮司から漢詩・漢文の指導を受けた社務所に上がらせて頂き、安岡先生がこよなく愛された春日神社を体感させて頂きました。安岡先生旧宅は、谷口正明さんという篤志家が今日まで保管・維持をしてくださって今日も見学ができます。堀田正篤少年が大志を育んだこの屋根の下で先生の幼少時を偲び、最後の、訪問先の大阪天満宮に移動し、戦後の安岡正篤先生の講演活動の緒点となった天満宮で先哲講座の講演を想起していただきました。

 二日間の瓠堂忌で安岡正篤先生の原点に触れ、各自、これからの活動に一層の精進を祈念されたことと思います。来年は、昭和維新100年、日本人が日本精神に回帰する時であります。今年一年のブログ配信も今回で最後になります。また、来年1月6日に令和七年の挨拶をさせて頂きます。皆様、ご健勝にて良いお年をお迎えください。

令和6年12月16日から22日の間に開講された定例講座は以下のとおり。

▼安岡教学『活眼活学』第二講(三木英一先生)

本年最後の「安岡教学」の講座は、『活眼活学』の第二章「人生心得」からでした。「切磋琢磨の三原則」では、思考の三原則でもお馴染みの長期的、多面的、根本的の三つの思考の観点から物事を見るという安岡教学の基本の教えでした。「運命」の項では、これも安岡先生の運命論では必ず登場する『陰隲録』の袁了凡の書の話を伺いました。