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昭和維新100年 日本精神に回帰すべき年 第2話

 令和七年乙巳の年 新年講義始めを開催しました。

午前9時45分、第一部式典が国歌君が代の斉唱で始まりました。竹中理事長の先導による「神棚拝詞」「年頭自警」に続き、当塾顧問の三木英一先生から年始挨拶を頂きました。「昭和維新100年、大東亜戦争終結80年」という節目の年に並々ならぬ思いをお持ちの三木顧問の今年に賭ける覚悟を伺いました。戦死された亡父の意思を継いで英語教育の世界で身を立て、県立姫路東高等学校校長で教員生活を終えられ、爾来、30年の間、人間学の月刊誌『致知』を片手に安岡教学、伊與田教学を講じて来られた三木顧問が「完熟の人生」の目指す自分への覚悟を伺った思いでした。と同時に、今こそ国士たる我々が如何に奮起せねばならぬかを問われました。

 第二部の講話は、竹中理事長による「昭和維新100年に想う」でした。講話は三部構成で、最初に、令和七年の干支「乙巳」の解説、昭和の時代の歴史的な意義、昭和維新100年後の日本人の覚悟についての話でした。

乙巳の年は、蛇年、蛇が脱皮しながら成長することに擬えて目出度い年と一般には言われますが、干支では甲辰に続く、乙巳の年で、過去の凝り固まった因循姑息に早く見切りをつけ、新しい芽吹きに果敢に挑まなければならないと教えています。

 昭和43年明治維新を迎えた際の安岡先生の講演録「百年の運命と立命」は、日本民族が歴史と伝統に基づく日本精神を取り戻さないことにはこの先の発展は危険なものになってしまうと言われています。それを受けて令和の時代の日本づくりは何から手を付けるべきなのか、今こそ、国士を自認する我々が草莽崛起せねばならない。令和の乙巳の年はそういう年にせねばならいということです。郷学振興を急がねばならないということでした。

 第三部の懇親会は、お弁当を囲んで、ご参加頂いた皆さんの思いを語って頂く和やかな場となりました。

令和7年1月4日から19日までの間に開催されました定例講座は以下の通りです。

▼1月4日(土)安岡正篤先生全著作を読む『童心残筆』第二講(竹中栄二先生)

 安岡先生の随筆集の第二回目は、「温泉行」、「山水養性記」「秋思」を味読しました。最初は長女陽子さんが誕生し人の親となられた頃、学友に誘われ信州浅間温泉に行かれる道中、現地での随想でした。二つ目は栃木佐野の南条館で開催された「皇道修養会」の臨講された際に、山寺で静養された時の随筆で、お寺の和尚さんと小僧さんのやり取りをユーモアも交えて語られています。最後の「秋思」は、当時の置かれた状況から、自身のプロフィールを語られた分になっていました。

▼1月9日(木)伊與田覺先生のみ教えに学ぶ『人物を創る人間学』第6講(三木英一先生)

 「誠は天の道なり、之を誠にするは人の道」という副題がつけられている第六章は、『中庸』、即ち、「中学」のテキストです。「中学」といっても、小中高大学の「中学」ではなく、『小学』、『孝経』、『大学』を学んだ上での「中学」、『中庸』であります。この章では、伊與田先生とは長年の親交のあった松下電器、現パナソニックの松下幸之助創業者の逸話が中心となっています。松下幸之助氏は小学校中退ですが、働いて、自分で考えて『中庸』のレベルにまで人格を高めていったということでした。「根源さん」という、自身の心の中にある神様と只管、問答された至った境地は、聖人たちの到達したレベルに等しい尊いものであったと思います。

▼1月16日(木)安岡教学『活眼活学』第二講(三木英一先生)

本年度の初講義は、『活眼活学』の第二章人生心得の「出処進退」から始まりました。その人の人物としての完成度を観るには、「応対辞令」と「出処進退」を観ればよいと言われるくらい重要です。今回はその「出処進退」、言い換えれば「引き際の美学」について学びました。人間としての晩節を向かえた時、その人の生きて来た真実が試されるのです。もう一つは、安岡先生の養生法といわれる「日用心法」でした。十五か条からなるこの心法は日々、自分の目の届くところにおいて、チェックすべきものです。「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」とは、ローマ皇帝ユベナリスの名言です。古今東西、幾ら文明が発達しても帰するところは「人間」であり、「人格」だと言えます。