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昭和維新100年 日本精神に回帰すべき年 第18話

令和の米騒動に思う(食料自給率37%の食貧国の将来)

一か月前のゴールデンウイークの初日、4月26日にアクリエ姫路で映画「二宮金次郎」が上映されました。主人公の二宮金次郎は江戸時代の有名な農政家です。身一つで崩壊した二宮家を再興し、後には農民ながら藩政改革まで為した人物です。戦前までは小学校の校庭には柴を背負って本を読みながら歩く「二宮金次郎」の像が設置されていました。日本人の美徳の一つ「勤勉」のシンボルでした。そんな「二宮金次郎」の名前が、小学校の教科書から消えてしまった現代において、誰も予想だにしなかった「令和の米騒動」が起こっているのです。

江戸時代も度々、飢饉や自然災害が日本列島を襲い、庶民、特に農民を苦しめました。そんな時、各藩では備蓄米を放出し、民を救済しました。毎日ように報道される「政府備蓄米」関連の情報ですが、そもそも何故、この時代に国主導で米の備蓄をしているのでしょうか。地産地消が基本の農作物を国が管理すると生産から流通、販売というサプライチェーンの中で利権や利ザヤが発生するのは当然のことです。日本人にとって米は生活の基本です。戦後、アメリカの農薬まみれの小麦とパン文化を押し付けられ、我が国の食生活は一変しました。食生活だけでなく、我々の健康、病気も変りました。明治初期から始まった日本の近代化の蔭の部分、マイナス面がここ数年に表面化してきているのです。自然と一体になって生きるという日本人の生活が便利、快適、優雅を追求する西欧型社会へと大きく傾斜した結果が今日の事件、事象です。

大阪万博で外国人の来日が増加し、インバウンド重要が上昇しています。外国人は日本に何を求めて来ているのでしょうか。彼等は大阪万博で最新技術、未来社会を見る事と同じくらい、日本の自然や寺社仏閣で得られる心の安らぎ、自然を活かした日本の食文化を楽しんでいます。ところが、日本人は自国の素晴らしさ、即ち、伝統文化や日本精神(茶道、禅、日本庭園など)には目もくれようとはしません。今年は、何度も言いますが、大東亜戦争終結80年、昭和維新100年の節目の年です。日本人が日本精神を見直し、その原点に戻るべき年です。今年も、早年が過ぎようとしています。残りの6か月しっかり自分の足元を見つめて、祖国日本の再興に一燈を灯したいものです。

5月19日~5月25日の間に開催された定例講座は以下の通りです。 ▼5月22日 岡田武彦先生の著作を読む『簡素の精神』第9講(三木英一先生)

 今回は、第二章「日本文化と簡素の精神」のつづきで、「和歌」、「連歌」を題材にした岡田先生の文化論でした。「和歌」は日本古来から連綿として歌い続けられている日本の代表的詩形です。近世以降は俳句も流行し、我が国を代表する二つの詩形は、実に簡約でありながら奥が深いことを知りました。言挙げしない国、日本人のこころからほとばしる感性の表現といえましょう。

▼5月25日 伊與田人間学を学ぶ『続 有源山話』第4講(竹中栄二先生)

 第4講は、第二章「一貫の心と行」を味読しました。前回までのところで、成人教学研修所が生駒国定公園の中に設置され、その開所のお祝いに安岡正篤先生、台湾から孔徳先生が来日されたところまで話は進んでいました。今回は研修所の魂ともいえる教学目標を安岡先生に懇願され、それを頂いたところから始まり、益々深まる孔子家直裔の孔徳懋、孔徳成先生との道縁と交友の逸話を学びました。また、論語普及会の巡拝会により孔子、顔回、曾子、孟子の子孫との交遊へ広がっていったことを学びました。