この国を思う:「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を迎えて
8月15日 正午 姫路護国神社境内に参集された方々と共に英霊の御霊に対して一分間の黙祷が捧げられ、その後天皇陛下のお言葉を頂きました。
「前文省略 ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上にたって、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
77年前の同じ時刻、昭和天皇の玉音放送が全国に流れ、我が国は開闢以来、初めての屈辱を味わいました。地に伏して泣き崩れる者、茫然示寂で立ち尽くす者、真夏の夢であってほしいと願う者、全国民がこの国の行く末を憂えたことと拝察します。その玉音放送、即ち、「終戦の詔勅」の締め括りに「萬世の為に太平を開かんと欲す」という天皇陛下の決意が述べられています。日清・日露戦争から続いて長い戦争の時代を終結させるにあたり、国主として最もふさわしい言葉を模索して様々な協議がなされました。その過程で中国宋代の儒学者張横渠の「天地の為に心を立て、生民の為に命を立て、往聖の為に絶学を継ぎ、萬世の為に太平を開く」という言葉を拠り所として組み立てることを提案されたのが安岡正篤先生でありました。当時の世界リーダー達の中で、世界中を巻き込んだこの戦争の世紀を終結させるにあたり、「義命」をもって臨めるのは道義の象徴である天子、即ち、日本国天皇しかありません。安岡先生は「義命」を尊ぶ天皇の道、皇道に基づいて、天皇が世界の恒久平和を望んでこの大戦を収束させるということで「羲命の存する所」を強く主張されましたが、最終的に時の内閣は「時運の赴く所」として、終戦の詔勅を決定しました。その当時の模様について、姫路護国神社の午後の英霊顕彰の集いで、当塾副理事長の尼子尚公氏が、この「終戦の詔勅」の発せられるまでの経緯を詳しく解説されました。
戦後77年を振り返ってみて、この「義命」とするところを「時運」としてしまった事の綻びがどんどん大きくなり、道義国家日本は「大道廃れて仁義あり」のごとく、日々目を覆いたくなるような事件・事象に見舞われています。
此の度の英霊感謝祭、英霊を顕彰する集いには中学生、高校生の参加者も数名見られました。これは大いなる救いの光だと思いました。今、テレビで、スマホでロシアとウクライナの戦争が毎日のように報道される中、何一つ不自由なく、平和を謳歌している大方の若者の中にあって、僅か数名でも子ども・青少年が正しい国の歴史を学び、世界の中で日本の果たすべき役割りについて考えることがどんなに意義深いことでしょう。私達大人はこのような場を通して子孫を教え、導いていかねばなりません。来年、再来年と子供達の参加が増えように工夫をして頂きたいと心より祈念するものであります。
英霊を顕彰する集いに続き、姫路護国神社で下記の様な講演会があります。
予告: 武田勝彦氏講演会(日本一知覧に通う講演家のかたりべ会)
日時: 9月3日(土)午後1時から4時まで
場所:兵庫県姫路護国神社 参集殿二階 会費 2000円 限定50名
武田勝彦氏は、岡山県で事業を営まれる傍ら、鹿児島知覧(特攻隊基地で有名な)にもっとも多く通う人で、知覧にあります特攻隊員の母と呼ばれた鳥浜トメさんの「富屋食堂」(特攻隊資料館 ホタル館)の特任館長を完全ボランティアでされています。知覧に行きたいという声を聞かれたら、すぐに行動を起こされ、「僕が案内しますから行きましょう」と声をかけられ、これまで何千人の方のガイドをされてきました。
その武田さんのかたりべ講演会が昨年の夏、神戸で開催され、私も初めて武田さんの特攻隊の物語を聞かせてもらいました。特攻隊に対する意見・反論は今でも多く聞かれますが、その方々は正しく日本という国を理解されていません。我々、日本人には開闢以来の日本精神として、「まつり」という精神構造があります。これは偉大な崇敬すべき感激の対象に対して身を捧げても、命を賭しても行動するという者です。特攻隊とはまさに、大君と自分の愛する家族、日本国を死守するという覚悟で行動を起こした若者たちです。武田氏は昨年から特攻隊劇「流れる雲よ」にも友情出演され、全国を回られており、今年も全国各所で開催されています。その武田さんの「特攻隊かたりべ武田勝彦講演会」を是非一度聞いてください。この9月3日の姫路での講演会を皮切りに、岡山縣護国神社(9月22日)、大阪護国神社(10月20日)、神戸護国神社(11月18日)、愛知縣護国神社(12月4日)ほか全国12の護国神社で講演をされます。