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この国を思う:高校野球に日本の武士道精神を見た

 今年も夏の甲子園の熱闘が終わりました。あまりスポーツに興味のない人でも郷土を代表して戦う地元の高校球児の全身全霊のプレーに一喜一憂するこの二週間はもはや日本の夏の風物詩と言っていいでしょう。炎天下の中、土まみれになって一つの白球を追う姿に私たちは感動をさせられます。

今年の104回大会は東北勢初の全国制覇という偉業を達成して幕を閉じましたが、毎日の試合の中には、心が、目頭が熱くなるシーンが多々見受けられました。新型コロナウイルス禍での大会ということで、様々な対策が講じられ中には急なコロナ感染で大幅に戦力ダウンを余儀なくされたり、出場を辞退せざるを得なかったりと最後の夏を完全燃焼できずに終えた球児もいました。そんなすべての高校球児を労う一言が、優勝校の仙台育英高校野球部の須江監督の優勝スピーチにありました。

「青春ってすごく密なんで、でもそういうことは全部駄目だ、駄目だと言われて、でも、諦めないで最期までやってくれた。そして、ただ、最後、僕たちがここに立ったということだけなので、是非、全国の高校生に拍手してもらえたらと思います。」というような内容の話でした。私はこの言葉にすごく感激しました。苦しい中で、好きな野球をさせてもらえることに感謝しよう。自分たちが勝者なら敗者がいるということに感謝しよう。多くの人に応援して貰えることに感謝しよう。・・・ これは「野球」が「野球道」になったことの証ではないでしょうか。今や、野球は女子プロ野球まで誕生し、世界でも競技人口が増えています。その中で、日本の野球が一段高い境地、次元に達したように思いました。

 今回、東北勢が初優勝しましたが、この10年の東北・北海道の高校の躍進ぶりには目を見張るものがあると思います。地球規模の温暖化により雪国でなくなったこと、近代技術、設備により練習量が増大したことがありますが、もう一つ重要な要素として強豪校がみな「人間力育成」に取り組んできたということです。勝者であっても敗者を称え、時には喜びを爆発させずに、静かに勝利の校歌を聞く姿勢は、彼らが野球を通して人としての大事なこと、「仁の心」(まごころから他人を思いやる心)を学びえた証です。今、スポーツマンで人間学の月刊誌『致知』を指導者も生徒も一緒になって読み、学び、実践している学校が多くなっています。所謂、「事上磨練」(明代、王陽明の言葉)をしているんです。

  日本人は、異文化を輸入し、同化し、日本オリジナルにしてしまうという民族性を有しています。これにより日本従来の武道のみならず、欧米から流入してきた様々なスポーツに於ても「道」を極めていきます。野球が国技のアメリカ大リーグで大活躍中の大谷翔平選手が数多くの大リーガーからリスペクトされていること、プロでもない高校球児の野球が日本中を感動の渦に巻き込んでしまうことを見て、子供たちも日本人はすごい、日本人に生れて良かったと思うことでしょう。日本は紛れもなく世界の大国です。その自信と矜持をもっと大人達が持つべきです。そして、それを子弟に伝えること。これが身近な一歩であり、確実な未来への歩みだと思います。ひと夏の出来事で片づけてしまわずに、8月という月が私たちに与えてくれる多くの教えから、私たちは謙虚に学ぶべきなのです。戦争、平和という事、汗まみれ土まみれになって全力を尽くすことの大切さを今一度噛みしめてしみじみと感じたいものです。