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この国を思う:「国生みの日」と神祓い

 秋の大型連休を襲った台風14号、15号は、日本列島にまたも大きな傷跡を残しました。その後半の初日、9月23日の朝、台風接近が心配される中、友人のお誘いで淡路島を訪問しました。今回の目的地は二か所、まず、南あわじ市にある聖徳太子所縁の日光寺(法性山上宮院日向寺)を尋ねました。613年に建立されたこの寺は、南海道仏教の霊場として1400年の長きに渡り信仰の中心となってきたお寺で兵乱、地震、津波、大雨を経て、現在の地に至ったという経緯をご住職からお聞きしました。加古川鶴林寺の太子学勉強会の事もお話し、今後の聖徳太子所縁の寺院としての日光寺と鶴林寺の関係性の研究を祈念しました。

 9月23日は、「くにうみ(国生み)の日」で毎年、この日には「淡路・出雲・高千穂」の三大神話神々のふるさとを祝う「神樂祭」が開催されてきました。第15回を向かえたこの日は台風15号が接近し、開催が危ぶまれましたが、本名宮司様は泰然として「大丈夫、絶対晴れ上がるから」と確信されて拝殿前で自ら指揮をとって準備を進めておられます。果たして開始時間の6時を迎えた時、空は雲がきれ、青空も見える程になりました。宮司様は一言、「神祓い」ですと。過去、15回の中で、雨の日が四度あったそうですが、いずれも開会時には晴れ上がり、雨天中止はないそうです。

 三大神話神々のふるさとでお神楽を継承される皆さんの熱演を拝見していると祖国日本の誕生から今日まで面々と流れる日本人としてのDNAを感じます。私の住む町も秋祭りが盛んですが、やはり神話の国々の祭りは時空を超えて私たち日本民族のDNAを覚醒させる力があるようです。国内の言葉の乱れを正し、統一された発音により意思疎通を図る為に歌われはじめた「あわのうた」の調べを聞いたとき、その覚醒を更に確信しました。神楽の意義は世界平和にあります、新型コロナウイルス、ロシア‐ウクライナ戦争と混迷を極める現代社会を正しい人間社会に導くは日本しかないのです。

https://youtu.be/WjPL5eLaV44 (「国生み創成」神楽 第一段 あわのうた)

 翌25日には平成14年(2002年)に始められた播磨人間フォーラムが3年ぶりに第18回目を開催されました。20年前、バブル崩壊後の長いリセッションから国運上昇の兆しが見えた頃、姫路で人間学を学ぶ5団体が声を掛け合い持ち回りで講師を招いて開催されてきたこのフォーラムでしたが今回を一つの区切りとすることになりました。その最終講は二宮尊徳(金次郎)の七代目子孫に当たられる中桐万里子さんの講演でした。

 薪を背負って本の読む少年の姿は、戦前日本小学校のシンボルでした。 「少年老いやすく学なりがたし」少年時代を楽しいだけでうかうか過ごしてはならない、どんな境遇でも、寸暇を惜しんで学ぶという姿勢を忘れる勿れと教える尊徳像と「勤勉」という日本人の美徳を戦後77年日本人は忘れて、おざなりにしてきたと思うのです。

 中桐先生は、現代に生きる尊徳さんの教えについて教えて下さいました。尊徳さんの先生はいつも天地自然でした。天変地異に遭遇しても現実を直視し、その中から自分に対する教えを読み取り、それを一つずつ積み重ねてきたのですと。

 尊徳さんの「水車のはなし」、「心田」、「積小為大」という言葉、話はすべて自身の実体験から生み出されたものです。自らの目、感覚、経験から、小さなことに気づくというトレーニングの繰り返し、継続により、自分自身で掴むしかないことを尊徳さんは私たちに語ってくれています。

 「国の本は農にあり」は、「人の本も農にあり」に繋がります。我々は、幾ら文明が進歩しても、「農」の精神、即ち、自然と対話することを軽視してはなりません。天孫降臨の太古より、祖国日本の礎は「農耕」にあります。今こそ、農を見直し、「農」を基盤にした国再生を国民一丸となって進めるべき時なのです。その手始めに休耕田、農業放棄地を日本からゼロにする活動をみんなで始めませんか。

 音もなく香もなくつねに天地は かかざる経を繰り返しつつ (尊徳)

田畑に立って、この歌を口ずさんでみましょう。

 この秋の連休の二日間の出来事は、私に日本及び日本人にとって大切なこと、子孫に必ず伝えなければならないことは何なのかを私に再認識させてくれました。素晴らしい祖国日本の明るい未来は、「日本の心」「農耕の精神」を取り戻す一歩から始まります。