この国を思う:一以之を貫く 伊與田覺先生のご遺徳
11月25日の伊與田覺先生の七回忌の御命日に前日(24日)に、大阪キャッスルホテルで「伊與田覺先生の思い出を語る」が開催されました。
第一部の記念講演会では大分瓠堂塾の塾頭の玉井重麿氏が「伊與田先生の教え」と題して先生から受けられた20年間の教えを振り返って話されました。
玉井氏は成人教学研修所で開催された「第九回安岡正篤教学研修会」(研修会の課題図書は『士学論講』)に参加し初めて伊與田先生の教えを直接受けられました。爾来、大阪に来られたり、伊與田先生を大分に迎えたりの交流を続けてこられました。
お話の中で、伊與田先生が若い頃、太平思想研究所を創設するにあたり、大分日田にある廣瀬淡窓の咸宜園並びに廣瀬淡窓生家を訪問され、一週間寝泊まりして書庫の本を殆ど読破されたときの話がありました。廣瀬淡窓は幕府の天領日田の豪商廣瀬家の嫡男として生まれますが、生来病気がちで学問に天命を見出し、師と弟子の二人で始めた私塾を門弟3000人とも言われた咸宜園を主宰するようになりました。伊與田先生はこれから自分が始めようとする国士を育成するという道の覚悟をきめる為に廣瀬淡窓を尋ね、その徳風を全身で吸収されようとされたのでしょうと玉井氏推察されました。この七回忌の記念に出版されました『続 有源山話』の冒頭に教師を目指した学生時代に滋賀の安曇川にある中江藤樹先生の藤樹書院、藤樹神社を尋ねるくだりがあります。その際も教師となる覚悟をきめる為に泊まり込みで藤樹書院にある藤樹先生関連の書物を読み込まれたとあります。この二つの話を伺うとき、伊與田先生は何か大事を為さんと発願される時には決まって覚悟をきめる為の行動を起こされるように思います。
第二部の懇親会はこの度特別に編集された「伊與田先生思い出のアルバム」を最初に拝見しました。洗心会幹事の松本守信氏の献杯で始まり、伊與田家からは長男の安正さん、次女の恵子さんがご参加されました。途中の清話の時間では当塾顧問で、論語普及会の顧問でも在らせられる三木英一先生が最初のスピーチをされ、その後、伊與田先生の遺徳を語る話が続き、2時間半あまりの懇親会は大変和やかな雰囲気の裡にすすみました。懇親会の最後には、伊與田家からのお話に安正さん、恵子さんが登壇され、これまで聞き及ばなかった伊與田先生の話を伺いました。その際に、伊與田先生の人生に於ける一大事であった「成人教学研修所」の建設に際し、伊與田先生は安正さんを伴って山中に入り、野宿をしてここに研修所を立てる覚悟を決められたようです。
私たちは人生で様々な局面に遭遇します。その際に、遭遇した一大事を成就させる為には、自分の中に腹落ちした覚悟が必要なのです。その為に真剣に自分と向き合う時間を持つことが必ず必要になります。願わくば自分の目指すもの同じように爲さんとした先人の足跡を尋ね、その徳風を五感で感じることは大きな助けとなるのです。人生に私淑する人物を持つとはこういうことなのです。
先週、11月21日から27日の間に開講された定例講座より、
11月27日:伊與田人間学を学ぶ 第18講(竹中栄二先生)
『中庸に学ぶ』の第6講は、本書の中の「第四章 君子の道を知る」の中の「錦を衣て、絅を尚う」を耽読しました。この章は『中庸』の最後の章である第三十三章の章句です。三十三章は、すべて「詩に曰く、」で始まる章句によって構成されていまます。「詩」とは、『詩経』という五経の一つに挙げられる経典のことです。日本の万葉集に相当する『詩経』には、天子から庶民に至るまで周代までに歌われた人々のこころの叫びが集録されています。今回の「錦を衣て、絅を尚う」では、東洋の奥ゆかしさを説かれています。人間というものは一見すると目立った人物ではないけれど、交わりが 深くなり、その人の話を聞けば聞くほど、次第に魅せられていく人がいる。そういう人になるのが、人物を磨くということである、と教えています。