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この国を思う:和を以て貴しとなす 郷土の偉人先哲に学ぶ

 私たちの住む土地を郷土と呼びます。郷土には長い歴史の中で人々に尊敬され、生きる指標とされた偉大な人物が必ずいます。時空を超えて郷土の偉人先哲に学ぶことは非常に意義のあることです。特に、小中学生の健全な成長には不可欠な教えなのです。人の人格を形成する情と徳性は十代までの教育によると言われています。

 聖徳太子と言えば殆どの方が奈良の法隆寺や明日香を連想しますが、太子の生涯を見てみると、播磨(今の加古川から姫路、たつの)の地と深い縁があります。十代の頃、太子が教えを受けた恵便法師が加古川鶴林寺に住まわれていました。太子は度々師の元を尋ね、広い教養と深い徳性を学ばれたのです。昨年は太子の没後1400年ということで、日本各地で記念のイベントが開催されました。

 播磨の地でも講演会やミュージカルが開催されて多くの人が参加されていることは誠に喜ばしいことですが、惜しいことに太子の残した数々の業績を活かすという観点から捉えたものは殆ど見当たりません。

 聖徳太子の業績中でも冠位十二階と十七条の憲法は現代に活かすべき功績です。

「一に曰く、和を以て貴しと()し、忤う無きを宗と()よ。」は、誰もが一度は聞いたことがある言葉です。世界が再び戦争が起こり、世界中が戦争に巻き込まれようとする今こそ、この教えを活かすべき時です。宮澤賢治が「雨ニモマケズ」の詩の中で、「北にケンカやソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ」とあります。ロシアとウクライナの間で始まった戦争ですが、今や世界中を食糧危機、エネルギー危機に巻き込んでいます。どこかでボタンをかけ間違えたのかも知れませんが、掛け間違いで生じた世界の秩序を正常に戻さねばなりません。何んとしてこれ以上の無駄な戦争の拡大を許してはなりません。「和を以て貴しと為す」の精神で事態を収拾したいものです。

先週、11月28日から12日の間に開講された定例講座より、

12月2日:安岡教学 『照心講座』 第11講(三木英一先生)

 『照心講座』の最終章は、「藤樹、蕃山先生と今後の学問」です。この章は昭和40年8月1日に実施された藤樹先生・蕃山先生の追遠祭の際の安岡先生の講話です。藤樹先生こと中江藤樹は、日本陽明学の祖と呼ばれる人です。四十歳という若さで早世されますが、その生涯を貫くものは「孝」の精神です。禄を辞し、故郷安曇川小川村で母を養いながら私塾藤樹書院を開き、熊澤蕃山、大野了佐などの優れた門人を残しました。藤樹先生の意思を継いだ熊澤蕃山は、安岡先生が日本の経世家のトップに挙げるほどの人物です。2時間の講義では、安岡先生が離れた両先生の人物論を講義頂きました。

12月3日:安岡正篤先生の全著作を読む 第17講 『士学論講』第三講

 大正十二年、安岡先生は元海軍大学校長も務められた城山八代八郎大将の懇請により、海軍大学校で一年にわたり講義をされました。その後半の講義より、今回は「宮本武蔵の剣道と心術」、「山鹿素行の士道論」、「副島種臣と中庸の精神」、「結語」を味読しました。宮本武蔵と山鹿素行は先に講じました『日本精神の研究』で同様の内容の講義でしたので割愛し、今回は、安岡先生の『光明蔵』に収録されている山鹿素行の三つの文章「日用心法」、「志気」、「力量」を読みました。今回の講義の中心は、「副島種臣と中庸の精神」でした。副島種臣は佐賀七賢人の一人、幕末維新の英傑の一人です。氏の功績の最大の物は、明治大帝の侍講として「帝國論」を天皇陛下に説かれたことだと安岡先生はこの章で述べられています。

12月3日:新聞が10倍楽しく読める地政学 中級篇(竹原俊三先生)

 キッシンジャー回想録に続き、直近の世界情勢について竹原先生から講義を受けました。