この国を思う:「日本の天災・地変・人妖と政教」を読む
最近の事件、事象を見ると、日本という国が自己崩壊を起していると思えてなりません。
毎日のように新聞・テレビで報道される地震などの天災地変、そして、相次ぐ凶悪犯罪、
幼少教育における虐待、親族間の殺人事件。
一見、平和で物質的に豊かで、世界中の食べ物で溢れるこの日本と言う国は「ユートピア」のように我々の目に移りますが、国の崩壊の兆しが益々、増大し、遂に顕在化してきています。
この現象は長い人類の歴史に何度も繰り返されていることなのです。
このことに気づいている私たちは何をなすべきでしょうか。
今から五十数年に当時の識者たちが講演などで話しています。
その内容は『一燈照隅集』(関西師友協会刊)に収録されています。
今日はその講演録の中から、「日本の天変・地変・人妖」(安岡正篤先生の昭和50年10月28日の和歌山師友協会での講演録より)を紹介します。
「日本と言う国において、もう人間そのもの、国民そのものが少し変になっておる。妖、怪しくなっておる。人間ばかりでなく自然も人間同様妖しくなっている。」昭和50年と言えば、大阪万博も終わり、世界の奇跡とまで呼ばれた戦後の大復興がほぼ達成された頃ですが、その時期に既に「国」して見逃すがすことが出来ない崩壊の兆しが見え始めていたのです。
更に、安岡先生は「私が人妖と申しますのは、人間が常軌を失するということ、理性とか、常識とか、特にこの道徳的な内省、いわゆる「敬する」、「恥じる」というような道徳的精神なくして、異常に堕落する、これを人妖と申しますが、そういう現象が特にひどい。それがいまや最も国民、人民を正しく指導しなければならない政治にも作用と申しますか、反映して、政治が甚だ異常性になっておる。」と憂いておられます。
そして、この状況から国を建て直す処方箋として、まず「根本的に教育を正しくすること」と、
「一番早いし、直接的には政治をもっとりっぱに真剣にする」ということだと言っておられます。
この日本という国を守る、国の為に尽くすことに政治家が真剣に取り組んで、そして、「我々、市民一人一人が幾つになっても終わりと思わぬ、初めと思う。人間は終わりを全うす、有終の美を成すことも大事であるけれども、もっと一般的には、普通には(中略)もう年も年になったからこれから始めらしい始めを開く。開創でなければならぬ。」と言われてますように、生ある限り、この国の為に生きるという覚悟を全国民が持たないとこの国衰退、崩壊は止められない状況になっているのです。
今こそ、一燈照隅、萬燈照國に邁進すべき時です。
5月8日から14日に実施されました定例講座から
5月11日 伊與田覺先生のみ教えに学ぶ 『孝経』第二講(三木英一「先生)
『孝経』の代名詞ともいえる「開宗明義章第一」に登場する孔子と孔子の最晩年の弟子曾子の話から今回の講義は始まりました。
14年間の士官、放浪の旅から曲阜に戻った孔子は、著述作業と門弟との学びに多くの時間を費やされました。
その中で、師孔子の一挙手一投足からも学ぼうとする若い弟子曾子の真剣な姿勢に孔子自身も励まされたというお話でした。