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この国を思う:令和五年方谷祭に参加しました。(備中高梁)

 6月26日は山田方谷先生没後146年にあたります。
幕末の経世家山田方谷先生は、香を焚き、枕頭に旧公より賜りし短刀と王陽明全周集を配置し、静かに73歳の生涯を閉じられました。
方谷祭は毎年方谷先生の御命日を前に方谷会が開いている追遠祭*です。
今年の方谷祭は、『古本大学』の著書、講義でご活躍の池田弘満先生の講話を拝聴しました。

 方谷祭は、山田方谷先生の黙禱の後、五代目直系子孫による献花から始まりました。
池田先生の講題は、「山田方谷の誠に学ぶ~『古本大学』と事績に照らし」でした。
池田弘満先生は、サラリーマンから通信教育で小学校教員に転職した異色の教育者です。
広島県教育委員会、小学校校長を歴任されました。
特に、管理職になってから、『論語』、陽明学などに親しまれました。
近年、その成果を『古本大学』の読み説くことで発表されています。
今回の講義の焦点は、「何故、山田方谷は藩の人々を幸せにできたのか」でした。
武士の出身でない方谷先生は、農商家に生まれますが、父母が教育に熱心であったことで、幼くして新見の丸川松隠の塾に入塾しますが、池田先生はその前の幼少時の家庭における「愛着形成」が方谷という人間形成に重要な意味を持っていたと思うと教育者らしい見解を示して頂きました。
神童と言われた方谷先生は、十四歳で母を、十五歳で父を失われますが、その時点で立派に家業を相続出来るだけの人間形成が出来ていました。
昔十五歳は元服の儀式で、大人の仲間入りをしました。
今はどうでしょうか?高学歴化して25歳でも人間としては未熟で、腹の据わっていない人が殆どです。
人の人格形成に必要な徳性と情緒は十代半ばで完成されると安岡正篤先生、岡潔先生もおっしゃっています。
方谷先生は十五歳までに学んだ事を、生涯かけて実行、実現して行かれたのだと思います。
江戸幕府の官学は「朱子学」でしたが、我が国では陽明学、古学が生まれました。
「朱子学」を学んで、朱子の解釋に納得しない人達がいた訳です。
それが道義国家日本の礎となったのです。
『古本大学』は、聖人孔子の教えの眼目は何かを求めた王陽明、山田方谷は『古本大学』を著して、真の孔子学を伝承されました。
それを掘り起こし、『古本大学』と方谷先生の事績を通して、稀代の経世家山田方谷の「誠」とは何かを教えて頂いた講義でした。

6月15日 安岡教学『人物を修める』(三木英一先生)
『人物を修める)』(旧著 東洋思想十講)の第二講目でした。

 今回の主テーマは、「学と道」でした。
安岡先生の講義は歴史的古典的教養を如何にみつけるかという観点から進められます。
安岡教学の目指すところである「経世済民」の実力を如何に養うかが説かれている本章について三木先生に解説頂きました。
我々が生涯を通して宇宙人生を一貫して営んでいくための本質である「道」、そして、それを実践して得られる「徳」、即ち、道徳が正しく行う人、行われている社会こそが「経世済民」の目指すところであります。