この国を思う:有源招魂社先哲祭開催される
毎年、敬老の日に開催される四條畷神社有源招魂社の先哲祭が八十名弱の参加で開催されました。二年ぶりに開催されました。昨年は台風が襲来し急遽中止となりましたので、今年も鑚仰先哲は「杉浦重剛」でした。
秋晴れの厳しい残暑の中での開催となった先哲祭は、参加者全員による四條畷神社本殿での正式参拝で始まりました。次いで、有源招魂社神前において
令和4年の物故者、前論語普及会会長の村下良伴先生ほか4名の招魂祭が開催されました。
第三部の講演会は四條畷会館において、久禮旦雄京都産業大学准教授による「杉浦重剛 人物とその遺徳」という講話を拝聴しました。杉浦重剛先生は昭和天皇裕仁殿下の頃の侍講で、昭和天皇の人物・人格形成に大きな影響を与えて先生です。この御進講は『倫理進講草案』という書物になっており、当時の講話を伺い知ることができます。杉浦重剛先生は、裕仁殿下に「学んで実践できなければ学んだことになりません」と常々、申し上げられたということでした。道徳と実践は表裏一体となってこそ、人と成るのであります。
先哲祭は昭和44年に楠木正成公を最初の鑚仰先哲とされて開始されました爾来今日まで継承されてきています。毎年、伊與田覺先生のご発案で鑚仰先哲が決定されてきました。年に一度、これまで私たちにその生き方を通して人として範を示されてきた先哲の遺徳を顕彰するという追遠祭は今の世の中で最も求められています。近くは郷土の、そして祖国の隣国の世界の先哲の「身を殺して仁を爲した教え」は私たちに万巻の書以上の教え、感激を与えてくださいます。私は毎年自分で一人の鑚仰先哲を決めて、一年間その人物の「人物と学問」について検証していますが、皆さんもご自身の生き方の理想となる人物を見つけて取り組んで見られてはいかがでしょうか。
令和5年9月11日から17日の間に実施された定例講座は以下の通りです。
▼9月14日:伊與田覺先生のみ教えに学ぶ (三木英一先生)
『孝経』第4講は、「なぜ「孝」が忘れられてしまったのか」というお話から始まりました。先の大戦後、連合軍(GHQ)の意図的な日本解体政策によって日本及び日本人の存在意義を否定されてから、78年が経過した今日においてもその戦後レジュームから脱することのできない日本人に対する三木英一先生の憤りをひしひしと感じさせられる講義でした。講話は「紀孝行章第十」、「五刑章第十一」、「廣要道章第十二」、「廣至徳章第十三」と読み進められ、すべて不徳の根本は親不孝に始まるということがよくわかりました。