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この国を思う:秋分の日に思うー日本人の先祖供養

「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句をごぞんじでしょうか。今年の秋のお彼岸ほどこの言葉を実感したことはこれまでなかったように思います。現在、皆さんと耽読しております伊與田覺先生のご著書『いかにして人物となるか』に、「孔子が説いた人間学」という章があります。孔子さんは紀元前500年頃の中国の聖人ですが、その子孫、即ち、嫡孫は第79代に及びます。家系が揺ぎ無く継続するということはそう簡単なものではありません。嘗て、伊與田と親交の深かった山田無文老師が、お話の中で「三代続いた金持ちは非常に少ない。反対に七代続いた貧乏人も、まずいない」と語られました。いろいろな家の法要に携わられた老師ならではのお言葉です。

 最近、よく耳にする言葉に、「墓じまい」という言葉があります。私はこの言葉が気になってしかたがありません。お墓の手入れ、お仏壇のお世話は当事者にとっては、煩わしく面倒なことでしかないでしょう。しかし、家系の継承という立場に立つと自分がやらなければ断絶してしまいます。もう一つ、私の嫌いな言葉があります。「今だけ、金だけ、自分だけ」って言葉です。現代人は須らくこの利己主義に陥っています。ご先祖のお陰で今日、自分がここに立って、幸せな人生、時間を過ごすことが出来ているのだということが何故、分からないのでしょうか。このまま行くと、日本及び日本人は「アリとキリギリス」(『イソップ童話』)のキリギリスばかりになってしまいます。夏のお盆、春、秋のお彼岸の日、ご先祖(少なくとも両親、祖父母)の命日にはそっと手を合わせて感謝の念を伝えたいものです。

 今、我が国は自己崩壊という大きな渦中にあります。日本及び日本人が祖国、祖先のありがたさを知ることを始めることがこの国の崩壊を食い射止める第一歩だと私は確信しています。皆さん、先祖供養を大事にしましょう。

令和5年9月18日から24日の間に実施された定例講座は以下の通りです。

▼9月21日:安岡教学『人物を修める(東洋思想十講)』(三木英一先生)

第七講の今回は、「儒教について」の一回目でした。世界四大聖人の話から東洋思想の偉大な聖人、孔子の興した儒教思想について学びました。安岡先生は儒教思想の根底には『易経』に基づく、「生の哲学」の教えがあるとしています。

「儒教思想と人物」の章では、人間として存続する為の基本が「元気」であると説かれています。最後に、『呂覧』から「六験」と「八観」を引用され、如何なる人を人物というのかの観察点を示して頂きました。

▼9月24日:伊與田人間学を学ぶ(竹中栄二先生)

『いかにして人物となるか』の三講目は、「孔子の説く人間学」の章を味読しました。孔家は現在第79代孔垂長氏が嫡孫を継承する世界最古の家柄です。日本の天皇家と孔子家が如何にして長きにわたり存続しえたのかが良く理解できるお話でした。伊與田先生は、孔子家第77代の孔徳成先生とそのお姉さんの孔徳懋先生を42年振りに日本の地でお引き合わせになり、日本と孔子、『論語』の架け橋となられた功績と、如何にして孔子家がかくも長きの間存続できているのかを窺いしることのできる話でした。