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この国を思う:播州の秋祭りに日本人の心の原点を顧みた

 この時期になるとふと頭に浮かぶのが童謡「村祭り」の歌詞です。「村の鎮守の神様の…」

で始まるあの歌です。私の住む播州地域は秋祭りが盛んなところでして、お孫さんからお爺ちゃん,お婆ちゃん、親戚まで一家一族総出で二日間のお祭りを楽しみます。これは農耕民族日本人の原点であり、現代人が忘れかけている日本人のDNAであると思います。祭りになると、家族、親戚、地域との絆を実感します。私たちは一人では生きていけません。家族や仲間と手をとりあって、困難を乗り越えていくのです。祭りではこの維持継承が自分に課せられた最低限の使命であることを体認することができます。あのお祭りに掛けられる村人の団結力(エネルギー)は、相当なものです。地域差はありますが、皆、自分の村の為に力を出し切るのです。何と貴いことではありませんか。

秋祭りは、本来、一年の農作業の無事、安全と五穀豊穣の感謝を地の神様にお伝えすることにあります。暑さ寒さ、雨風に耐え、収穫された食物はこの先一年の貴重な食糧だったのです。今のようにコンビニ、スーパーに行けばいつでもほしい物が手に入るという時代であっても、一年に一度の収穫でしか味わえないものに感謝するという気持ちを私たち現代人は忘れてはなりません。華やかで勇壮なお祭りを楽しむ一方で、「食」、即ち「農」を疎かにする民族は廃れ、崩壊するという教訓を頭の片隅に於ておかねばなりません。特に、現代のような頽廃・混乱した世の中にあっては、食糧自給率30数パーセントという現実を危機と受け止めて、自分ができること、為すべきことを各自が実行していかねばならないと思います。お祭りを楽しみ、神様に感謝を捧げる秋祭りでありますように。様は、いつも謙虚な人に微笑むのです。

令和5年10月16日から10月22日の間に開催しました定例講座は以下の通りです。

▼10月19日 安岡教学『人物を修める』第八講 儒教❷(三木英一先生)

 今回は「儒教について」の二回目の講義でした。最初に、日本と中国の国体、民族性の違いについて学び、次いで、儒教の歴史が国教化したのは前漢の時代でした。漢の武帝、後漢の光武帝、三国志の時代、明の朱元璋と順を追って学びました。最後には、明の儒者呂新吾の『呻吟語』にある大臣の六等級について学び、政治と人物の重要性を実感いたしました。

▼10月22日 伊與田人間学を学ぶ(竹中栄二先生)

『いかにして人物となるか』の第四講は、「王陽明の生き方に学ぶ」でした。

伊與田先生は20歳の時に、安岡正篤先生の謦咳に接し、安岡教学に没入して行かれます。特に、安岡先生の名著『王陽明研究』を読まれ、王陽明を学び始められ、伊與田先生の人物と学問形成に大きな影響を与えられました。伊與田先生が学ばれた王陽明の『伝習録』の眼目を学びました。