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この国を思う:吉田松陰先生の命日に思う、日本の行く末

安政6年10月27日、吉田松陰先生は江戸小伝馬町老屋敷で、享年30歳という若さで命を絶たれました。この尊い犠牲が近代日本の夜明けとなったことは周知の事実です。没後164年にあたる10月27日の前日26日に萩・東光寺にある吉田松陰先生の墓前において、追遠の法要が開かれました。最近、世間では“墓じまい”という言葉がはやっています。核家族化が進み、家の中に仏壇も神棚も無い家が多くなっています。この法要でも“松陰先生の墓を守る会”の会員の高齢化が進んでおり、結果、平素の清掃は実質、副会長の三村さんお一人の献身的な努力により保たれているようです。行政、特に教育委員会の支援、理解が全く、我が国を代表する先人の一人である吉田松陰先生にしてこの有り様であると聞きました。この萩市の現状は日本国家の縮図ではのように思えてなりません。現代社会の抱えている諸問題の病根は何かと考える時、まず、私たちが正さなければならない生活の改善は、先人、祖先を敬うということです。即ち、その源は教育です。学校でも家庭でも先祖先人を顧みない、自国の歴史、伝統を大事にしなくなっています。『論語』の学而篇に「曾子曰わく、終わりを慎み、遠きを追えば民の徳多きに帰す」とありますように、人生の晩節を汚さぬように懸命に生き、絶えず先祖先人の祭りを大切にするということを日本人はずっと大事にしてきました。この心を取り戻す運動を出来るだけ早く始める必要があると思うのです。

時を同じくして、姫路師友会50周年記念大会が、10月29日姫路キャッスルグランビリオホテルにおいて開催されました。安岡教学の正統性を維持し、50年間活動を継続して来られた田中昭夫姫路師友会会長のご人徳に共鳴された200余名の方が参集され、式典、記念講演会(講話:加地伸行先生)、夜会が開催されました。安岡正篤先生が昭和24年に全国師友協会を結成されてから、安岡先生がお亡くなりになる昭和58年までは、全国すべての都道府県にあった各地の師友会の最期の砦は姫路師友会です。その半世紀にわたる活動の証をみることができました。

令和5年10月23日から10月29日の間に開催しました定例講座は以下の通りです。

▼10月25日 姫路水厚会(安岡正篤先生の著作を読む)(田中昭夫先生)

 今回も活学講話として『東洋人物学』を読みました。第五回の今回は前回からの続きで江戸時代後期の佐賀藩の儒学者古賀穀堂の「自警」を学びました。人間は結局一番分からないのは自分のことであること。実に人は人間を理解しない。その原因は、常に自分を棚にあげ、或いは自分を誤るから、人を誤り、そして、遂に国を誤ることになるのです。今日の世界情勢をみると誠に危うい気がするのは私だけでしょうか。