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この国を思う:先師安岡正篤先生没後40年 令和瓠堂忌開催される!

昭和58年12月13日、碩学安岡正篤先生が逝去され、日本の政財界に激震がはしりました。そして、の精神的支柱として大正・昭和期に日本の中枢に大きな影響を及ぼした「師」の存在を無くした祖国日本は以降、道義の心、節義を無くし、「繁栄の中の没落」という大国が必ず経験する亡国に道を歩んでいくことになりました。

令和5年12月13日は安岡正篤先生がお亡くなりになって40年の節目の日です。祖国日本はここ数年、「人妖」と言える人間の崩壊現象が後を絶ちません。親族殺人、聖職者(特に、教師、警察官)の堕落、弱いものへの虐待、いじめこれ等は、最早人が人で無くなってしまった有様です。この事態を収拾し、如何にして道義国家日本を回復するかが安岡先生の薫陶を受けた我々、師友道友に使命であります。

そこで、本年より12月13日を機に令和瓠堂忌を開催することにし、一年に一度、先師の遺徳を顕彰し、各自の志を新たにする日としたく思います。その新瓠堂忌が、埼玉県比企郡嵐山町にある郷学研修所・安岡正篤記念館に隣接する国立女性教育開館で開催されました。会場には100名弱、リモート参加者30名ほどの会でしたが、参加者一同、祖国日本の健全なる再建を誓い合う機会となりました。

安岡定子理事長の挨拶の後、瓠堂忌の次第に随い、らっ酒の礼、献詠(「修学」夢窓疎石作)を田中昭夫姫路師友会会長によって奉納されました。

第二部の講演では、田中昭夫姫路師友会会長が「人生修行の旅 安岡教学に導かれて六十余年」があり、二十歳で安岡正篤先生の謦咳に接し、今日まで安岡教学一筋に生きて来られた生き様と如何にして安岡教学を実践してきたのかという貴重なお話を頂きました。第三部は、有志参加者による懇親会か開かれ、道友相語らい、酒を酌み交わすという「酒友会」が開かれ、「来年、また、この場で会いましょう」の言葉をもって、令和瓠堂忌は閉会しました。一燈照隅、萬燈照國を目指して、一歩を踏み出しましょう。

◎令和5年12月11日から17日の間に開かれました定例講座は下記のとおりです。

▼12月14日 伊與田覺先生のみ教えに学ぶ 『孝経』 (三木英一先生)

6講に分けて講じて来られました伊與田覺先生の『孝経』の最終講でした。

第6講は「『論語』の中の「孝」を読む」でした。孔子の最晩年の弟子の曾子は『論語』20章の中でも「孝」の場面でしばしば登場します。それらの章句を味わい。最期は、受講生全員で『孝経』全文の素読を行い、伊與田先生の教学の重要眼目である『孝経』の学びを終えました。新年度からは、伊與田人間学の集大成と言われる『人の長たるものの人間学』(致知出版社)を教材とした講義が始まります。(1月11日開講予定)